9月11日 月曜日 曇りときどき晴れ

 午前中から午後にかけて原稿をひとつ片づけた。本日、9月11日である。16年前か。当時、拾ったテレビでみた衝突・爆発の瞬間のニュース映像は、いまだに覚えている。現在を占うかのような21世紀の幕開けだった。1999年のアンゴルモアよりも破局的で深刻な問題が顕在化した瞬間だった。

 9.11の衝撃とそれ以後への、世界大戦への不安というのは確かにあったが、実際は世界大戦ではなくテロの泥沼だった。当日、友人が心配で電話をかけた。彼はシカゴの一晩高いビルにいて「開戦、狙われている可能性有、即時ビルから退去」と言う放送を聞いた。友人は無事だった。被害遺族の慰め、問題構造の解決はいまだ見えない。

 夜、いよいよフランス人青年マチウ氏の送別会である。思えば、不思議なもので、友人作家が彼への親切心を発揮したところから始まったつながりである。9月も中旬であるが、彼の三週間の日本滞在もいよいよ終わりが見えてきた。明日、大阪を離れて東京へ行き、来週早々に、そのままフランスへ帰るというマチウを見送るために、皆もう一度御屋敷に集まった。

 畏友の作家氏、またネット仲間の兼業ライター氏、坊さんにフランス思想の友人らで彼と楽しく飲んだ。タコ唐、唐揚げ、枝豆、おつまみの手羽先、ビールにと頼んで、友を見送る。手向けと思って、メイドさんたちのチェキもお願いした。

 総じて、偶然の生んだ稀有な数日間となった。若き友、フランス人青年マチウのその紺碧の瞳には何が映ったのだろうか。暮れゆく夏のような日本の趨勢のただ中に、彼は何を見、何を期待したのだろうか。その答えは、彼が一年後に再びやってくることにおいて明らかになるのかもしれない。われらが友マチウよ、再び会えるのをぼくらは待っている。折しも彼が大好きだという「Re:ゼロ」の新作ep制作が発表された。そう、まだ物語は続くのだ。

 友情のしるしとして彼がそれぞれに送ってくれた栞やキーホルダー、何よりも、彼が皆にと送ってくれた大吟醸はまたの機会に皆で飲みたいと思う。ソムリエである彼が、20杯も試飲して決めてくれたのだ。近いうちに開けるにふさわしいときが来るだろう。

 夏の後ろ姿が遠ざかる夜、少しずつ慣れてきたフランス語の音感と文法の印象、通じない相手にそれでも使えない英語で話しかける可笑しさ、皆の笑顔が夏祭りのように余韻を残している。残る彼の滞在が、本当に良いものとなりますように。そして、どうか、再び、僕らがまみえることができますように。

 20世紀末まで人類が積み上げてきた努力は、各地で灰燼に帰し、21世紀はテロと宗教の時代となった。しかし、そんな中、言葉が通じずとも見た目が違おうとも、アニメやサブカルチャーなどわずかな接点でも、人はつながっていくことができる。それを西方ラテン教会ではPAX(平和)という。

 御屋敷、アニメ、世界の周縁に息づくものが持つ力が、オタクの国境を無効化する。9月11日、たまたま見かけたシリア代表を泣いて言祝ぐアナウンサーの声をきき、神の名が喜びの際にも叫ばれるということを、改めて思った。僕らは21世紀を生きている。

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